昨今の中国と韓国との関係は、悪化の一途をたどっています。
韓国との文化交流は、続いていることにホッとしています。
何十年か前、秦の始皇帝に関する本を読んでから
もっと前から王制が有ることに初めて知りました。
そのころ日本は、縄文時代でしょうか。
そうですね。
約5000年前でしょうか。
史記を読破しましたが、一度では、理解が出来ません。
何度も何度も読み返しました。
今日は、このことをではなく、朝鮮半島の事を少し話しますね。
中国史の事は、また次回ということで
朝鮮半島と日本の知られざる歴史です。
※韓国の方は、学校教育で習ったかどうか解りません。
なぜか、日本の歴史教科書ではスルーされてます。
では、
西暦640年代に朝鮮半島に約2万7千人の兵を送っている。
そして、倭国、百済連合軍対新羅、唐の連合軍で戦争を起こしている。
当時の日本の総人口は、70万~80万人と推定される。
もの凄い兵の数である。
倭国、百済連合軍は、新羅、唐の連合軍に大敗しました。
白村江の戦いです。
ここで面白い事を考えちゃいました。
その頃の日本(倭国)と百済は、自由に行き来をしていた可能性が大きいのです。
そして、言語も同一言語の可能性が有る。
日本語と百済語は、必ず母音で終わる。
しかし、新羅語は、かなずしもそうで無い。
子音で終わることの方が多いですね。
現在の朝鮮語の流れです。
百済は、高句麗の流れの国
もちろん高句麗も母音で終わるとされている。
高句麗、百済、倭国と言語の流れが有ると推測できる。
たらればでは、ダメですが、いつもそんなことを考えながら歴史小説を読んでいます。
白村江の戦いで倭国、百済の連合軍が勝っていたら、
より日本語に近い言語を朝鮮半島で喋っているだろなぁ
なんてね。
はい。
では、そろそろ終わりにします。
次回は、その当時の文化の交流のお話をしますね。
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